退院の日、迎えの車の中でずっと考えていたのは、これから何を食べるかということでした。
病院では、決まった時間に、決まったものが出てきます。それがなくなる。
この記事は個人の体験です。退院後の食事内容や再開の時期については、主治医・管理栄養士の指示を優先してください。
自宅には帰らず、実家へ
お腹の傷が痛くて、動くのも横になるのもままなりませんでした。
自宅に帰っても、家事も子どものこともできません。それで、次の外来受診日まで実家にいさせてもらうことにしました。10日ほどです。
子どもは、夫と義母にお願いしました。
離れて過ごすのはつらかったです。それでも、あのとき自分にできることは何もありませんでした。
帰り道、ドラッグストアに寄ってもらった
実家に着く前に、ドラッグストアに寄ってもらいました。
ゼリータイプのカロリーメイト、メイバランス、キャンディーチーズ。落ち着いて選んだわけではありません。目についたものを、次々とかごに入れました。
一度に食べられる量が少ないので、少しずつ口に入れられるものを手元に置いておきたかったのです。
入院中の食事の写真が、役に立った
実家では、食事の用意を全部、母にお願いしました。
そのとき使ったのが、入院中に撮っておいた食事の写真です。記録のつもりで撮っただけでしたが、母に見せて「こんなものを作ってほしい」と伝えることができました。
やわらかいもの、と言葉で言っても伝わりません。写真だと、量も、味つけの濃さも、一目で分かります。
母は、お腹に優しそうなおかずを色々作ってくれました。
それでも、少ししか食べられませんでした。すぐにお腹がいっぱいになります。作ってもらったものを残す。それに慣れませんでした。
自宅に戻ってからは、義母に
自宅に戻ってからも、台所に長く立つのはつらいままでした。
自分の分だけなら、なんとかなりました。ただ、傷が痛むのを我慢しながらです。作れるものも、簡単なものばかりでした。
難しかったのは、家族の分です。人数分をまとめて作るとなると、立っている時間がまったく違います。
そのため、家族の朝と夜の食事を義母に作ってもらう日が、数か月続きました。
ただ、私の分は作らなくていいと伝えてありました。自分の分は適当にやりますから、と。
家族全員分に加えて、私だけ別のものを、というのはさすがに頼めませんでした。
それでも義母は、私でも食べられそうなおかずを少し多めに作ってくれることがありました。そんなときは、そこから少し取り分けて食べていました。
そのうち、朝は自分でできるようになりました。夜だけお願いする形になって、そこからまた時間がかかって、ようやく全部を自分で作れるようになりました。
その途中にいるときは、いつまで続くのか分かりません。ただ、あとから並べてみると、できることは確かに増えていました。
母には言えて、義母には言えなかったこと
母には、これを作ってほしいと言えました。残してしまうことも、そのまま伝えられました。
義母には、言えませんでした。
私の分は作らなくていい、と先に線を引いたのは、そのほうが楽だったからだと思います。頼まなければ、申し訳なさも少なくて済む気がしていました。
それでも義母は、多めに作ってくれました。
家族のごはんを用意するのは自分の役目だと思っていたので、その頃はずっと落ち着きませんでした。甘えすぎではないか、と何度も考えました。
おわりに
退院してから困ったのは、何を食べるかではありませんでした。
それは入院中の写真が教えてくれます。答えはもう手元にありました。
困ったのは、そこから先でした。
自分の分は、痛みをこらえながらなんとか作れます。家族の分は、どうしても無理でした。
実家に10日、そのあと義母に数か月。申し訳なさは、ずっと消えませんでした。
それでも、あのとき自分で全部やろうとしていたら、体が戻るのはもっと遅れていたと思います。
食べられる量がその後どう変わっていったかは、別の記事に書きました。
